|
口付けは蜜より甘く、罪より苦い Act.1 希望さえも思い出せない その日はただ、天気がよくて俺は散歩をしているだけだった。 近所の土手を通って、気分がよかったから頭の中だけでお気に入りの歌を歌って。 たった、それだけのはずだったのに。 目を開くとそこは、見たこともない場所だった。 広くて大きなベッド、ふわふわの布団。そして頭上にはカーテンのようなもの・・・そう、天蓋がついている。脇のほうからはぱちぱちと木が燃える音が響いていた。 体を半分起して見渡せば美しく整った調度品ばかり。部屋の主はさぞものを置くつもりがないのか、備え付けの品以外あまりものがない。 ここはどこだろう? 必死に思い出を探る。 知らない、こんな場所知らなかった。そんなとき、ドアのほうからとても温かくて耳に心地よい優しい声が響く。 「・・・ユーリ?ユーリ!!」 背の高い男はあまりにも嬉しそうな安心したような顔をしながらこっちへと走り寄ってくる。何度も確かめるように、ユーリという名を呟きながら。 ユーリとは一体誰? 茶色い髪の毛を短く切った男は安堵の息を漏らしながらも水差しからコップへと水を注ぎ手渡してくれた。優しい印象がする笑みを絶やさない顔。どこかで見たことがあるようでないような。不快な感覚、もどかしく苦しい思考。 「良かった・・・貴方が目を覚まさなかったらどうしようかと思いました・・・」 まるで目を覚まさなかったら自分も死のうというぐらい切羽詰った声。この男にとって自分は一体なんなんだろうと考えても思い当たる節がない。というよりも、今の自分は一体どこで何をしているか、すべてを説明してほしかった。 何が何でいったいどうなのか、考えれば考えるほど白くなる思考。止まらないのは記憶を探ろうとすることだけだが、今の頭の中には・・・。 「っう・・・っ!?」 突然頭に鋭い痛みが走る。うめいた瞬間、体は自分よりも一回りは鍛えられた男の体に包まれる。優しくて暖かい腕、なぜ安心できるか分からない。 「無理しないで、今は寝てください。まだ完全に体は良くなっていないのだから」 怪我をしていたのだろうか? 自分は、何をしているのだろう。ただ、男の腕の中は幾分気持ちが良くて幸せな気持ちになれる。自分はこの感覚を知っていた、気がする。 ただ押し黙っていたから、男は心配になったのかユーリ?ともう一度たずねてくる。でも、抱きしめる腕は離すことなく。 「なぁ・・・あんたさ・・・」 何とかつむいだのはそんな言葉だけ。 でも、自分でも混乱して何がなんだか分からない。目の前の男は何か驚いたような、それでいていぶかしげな顔をしてその言葉の続きを待ち続ける。 「誰・・・っすか?」 突然抱きしめて、うれしそうに笑う。でも彼も男で自分も男だから何か特別な用事がない限りこんな関係などおかしいはずだ。では、一体貴方と私はどんな関係なのですか、ただそう問いかけることしかできない。 「俺の名前と、俺との関係を知りたいんですか・・・?」 顔は、強く抱きしめられて良く見えなかった。ただ、さっきまでの明るい声とはまったく違って困ったような、怒ったような雰囲気を含んでいる。すごく怖い、そんな感じがする声。 それでも今はたずねなくてはならないことがいっぱいあった。 「それから、あんたがさっきから呼んでるユーリっていう名前・・・もしかして俺のことなの?」 自分の名前も分からない。 ユーリという言葉に聞き覚えはなかった。でも、他に該当する名前らしい名前は出てこなくて悩むだけ。頭から、過去というものが完全に欠如しているのだ。 さっきこのベッドの上で目を覚ましてからの記憶しか、今の頭の中には入っていない。 「まさか・・・」 目の前の男がポツリと言うのがかすかに聞こえる。 もしかしたらとても重要な相手なのかもしれない、思い出せないと失礼なのかもしれない。だが、どんなに頭をひねっても霞がかかったままの世界でさまようような感覚に飲まれるだけ、とりもどせるものは何一つない。 「っあ!!!」 再びひどい激痛。 今度はかっと目の中が熱くなって涙まで溢れ出してきてしまう。頭が痛くて痛くてしょうがなくて、まだ抱きついたままでいる男にすがりつく。痛みからはまったく逃げられそうになく、それでいてこの男の腕ではひどく安堵するから。 「ユーリ・・・」 低いかすれた声が耳元で発せられたかと思うとそのまま抱く力が緩んだ。茶色に銀を散らした不思議な目をした男の視線は自分に絡みついたまま離れない。 言葉さえ、発することなどできなかった。 「ユーリ」 名前を呟いた直後、突然口をふさがれる。声を上げようとしたときには、男に深く口付けられていて。 目の前が呆然となる。 何が起きているのか分からないのに、ただ冷静に彼の舌が口の中に入り込んでいることだけは明確に理解している。生々しく、熱すぎる感覚に男を引き離そうと試みたけども頭には痛みがまだ重くくすぶっているし、何より男の力はひどく強くて一切の抵抗など許そうとはしない。 「ん・・・ぐぅ・・・!!」 ただ驚いて、ユーリはとっさに男の唇をかんでしまった。一瞬だけ感じた、鉄の味。 男は少し驚いたように口を離すと口の端に流れた血を拭う。そんなに強くかんだつもりはなかったが血が出てしまうほどだったなんて。ユーリは慌てたが、突然キスをしてくるこの男が悪い。 しかも自分は男、相手も男。 キスをするなんてかなりおかしい!! だけど、不快感はなくて・・・。ユーリの頭は混乱するばかり。 「噛むなんて、ひどいじゃないですか」 そういいながらも男の顔は全く痛がるようすもなく、ましてや小さな笑みさえ浮かばせている。 ユーリはいいしれぬ恐怖間に涙さえでそうになったが歯をくいしばり耐えることに成功した。その間にも男のてはユーリが着ているかなり大きめのシャツにかけられていて。 「な、なに考えてんだよ!」 男である自分にこの男がしようとしていることは記憶とは関係なく常識としてなんとなく分からなくはない。だけど、おかしい。 何でこんなこと… これ以上のこの行為の進行を阻止したかったからあらんかぎりの力で腕を伸ばしてみたが男の力は半端ではなくびくともしない。 「や、やめろよ!」 耳たぶを舐められてぞわりとした感覚。気持悪くて、ものすごく嫌で。 だが、男は自分の声なんか全く聞いていないのかそれをやめるどころか耳のなかに舌を入れてきた。 「…っ!」 あまりの感じに俺は小さく声を漏らす。気持悪くて言ったのに、男はいやりと笑ってユーリをベッドの上に倒してしまう。 その上から馬乗りになるように体を押さえ付けられ体は完璧に自由を失った。 「いやだっつってんだろ!!」 見上げれば酷く残酷な男の笑み。大声でさけんで暴れていたがその瞳を見ただけで一瞬で凍り付くような。 逆らったら…殺される ユーリは本気でそう感じた。それでも男にこんな風に女みたいに抱かれるのは絶対嫌だったからもうどうするべきか分からない。 To be continued… |