口付けは蜜より甘く、罪より苦い

口付けはより甘くより苦い

 

ACT.3 先が見えない、過去も見えない

 

 

目覚めると広いベッドのなか一人きりだった。べつに隣であの男…コンラッドが眠っていることを望んだわけではない。

柔らかくてただ広くて高級感あふれるベッドは今は冷たくこの体を包んでいるだけ。何故か豪華すぎるこの部屋の全てがコンラッドには不似合いに見えてしかたがない。

どうしてこんなことを思ったんだろう、ユーリは考える。まだ一度会っただけの人の、満足に話したこともない人の好みなど分かるわけかないのに。

「はぁ…」

小さく溜め息をついて窓の方をみれば朝の日差しが優しく斜めにさしこんでいた。

不意に涙が出る。

羽根布団のなかで体をもぞりと動かせば優しい肌触りだけが感覚として残る。昨晩はあんなにべたついていた体はきっとぬぐわれ他のだろう。

貴方は俺のもの…

という彼の言葉だけがしつこく耳に残っていた。

このベッドに一人残されていることによってますます自分が彼になんとも思われていないような感じがした。ただ、コンラッドが自分を性欲をはらすためのものだと思っているなら関心などないのだと思うのだが。

しかし、ユーリの漆黒の瞳から溢れる涙はとまらない。

どうして…っ!?

どうして…

わけさえわからずユーリは頭をかかえてなき続けた。

なんとかこのベッドから逃げ出したくて膝を立ててみれば起るのはあらぬところの激痛。腰が重たくて行動しようという意欲はすべて無効にされてしまうぐらいに。

体に残るのは赤い跡。昨日コンラッドがつけたものだと理解した瞬間昨日の暴力と言っても過言ではない行為が脳をよぎった。

全てが昨日あったことなんだ。

夢だと思いたくてもめが覚めたとき微笑んでくれる相手の顔さえ考えることが出来ないのだ。

いま分かるのは、自分の名前がユーリ、で自分に酷いことをする男の名前がコンラッドということだけ。

あとは自分に関する個人的な情報は一切分からない。それが堪らなく怖くて怖くて、ユーリは弱々しくかぶりをふった。そんなことをしても記憶が蘇ったりなどしないことはわかっているのに。

とにかくこのままでいてもなにも始まらない、ユーリは重い体を引きずるようにベッドからはいだした。

いっしまとわぬ姿でいるのに耐えられなくてぐしゃぐしゃになったシーツをたぐりよせると体に巻き付ける。

自分はいったいなにをしているんだろう、不意に問掛けてみる。男として、男に抱かれそのはだをかくすようにシーツをかぶって涙を流しているなんておかしいんじゃないだろうか。いくら記憶がなくとも常識などは一切ユーリの頭に残ったままでいたから。ないのはプライベートのこと。

悩めば悩むほど頭が痛くて仕方がなかった。昨日よりも痛みは引いたがまだ時折顔をしかめたくなるような激痛が走ることだってある。

こんな状況から逃げ出したかった。だが、逃げ込む当てなどあるわけがなくてそれは叶わない。暖かい人のそばにいたいと本能的に思うのに思い当たるのは忌み嫌うはずのコンラッド。

どうして、あんな人を思い出すの…!

自分を叱りつけてみても何故か頭はコンラッドのことでいっぱい。

確かにいま自分が知っている人なんて彼しかいないのだから誰か、というものを探したとしても彼しか思い付けないんだ。

そうに違いない。

ユーリははうように歩くことしかできなくて毛の長いカーペットに足をとられながらもすすむ。

早く自分の着れそうな服がほしかったからだ。

しかし、衣装棚にたどり着く前に左足の違和感に気付く。

「な…にこれ…」

そこにあったのは銀色をした輪。言葉を探してみればアンクレットとしょうされるようなもの。あまり太くわない銀のわっかが足につけられていた。

まるでそれは、自分がコンラッドのものであるとでもいいたげに。奴隷であるとでも示すかのように。

すぐに取り外してしまいたかったが、小さな鍵穴がついたそれは足首からとれそうにない。

しかも、あがけばあがくほどどことなくあたまの奥に響く不快感。そして微かに感じる吐気やめまい。

この足輪がそれをひきおこしているのかとおもうと得体のしれぬ物への恐怖心がつのる。

でもどうやってもとれそうにないのでユーリはとりあえずそれを掴む手をはなした。無理にはずすと足が切れてしまいそうでもあったから、これ以上なにをどうしたらいいかわからない。だけど、頼ることができるのはいまのところコンラッドだけしかいない。

なんとかたどりついた棚を開けてみる。しわひとつない服がまばらに入っていた。

どれもコンラッドのものらしく自分が腕をとおそうものならずりおちてしまいそうなぐらい。

これをきる事は出来ないだろう、大きすぎておかしいにきまっている。

この部屋から逃げ出してしまいたかったけど服はなく、体は痛む。

そして、なにも思い出せない自分がこの部屋からでて生きていける保証さえなかった。

このままコンラッドに抱かれ続けるのか、そう考えるとぞっとしたものが背筋を駆け抜けるのが分かった。

でも、誰にも頼れない。

誰が敵で誰が味方すらなのかも…。

ユーリは自分を包むシーツを前で握り締める。男の印がついたはだを少しでもさらすことが嫌だった。それが自分の目だとしても。

零れ落ちる涙を必死に拭い毛足の長いカーペットに座り込む。

と、そのときだった。

「ユーリ、目が覚めましたか」

きぃと蝶番の音を立てながらコンラッドが部屋のなかに入ってくる。

ユーリは反射的にシーツを更に引き寄せ、からだをびくつかせることしかできなかった。

「…随分な挨拶ですね」

男はみ間違いかと思うほどしょんぼりとした顔を見せたかと思った瞬間すぐにいつもと変わらぬ嘘臭い笑みにかわる。

「な、なんなんだよ…」

気持はコンラッドに屈しない、と強いつもりでいるのに体は痛みには素直で昨日コンラッドにされたことがまじまじと肌に感覚として蘇った。

声が震えてしまう。

「ここは俺の部屋ですから…」

確かにコンラッドのいうとおりである。だが、もし自分をペットの様なものだと思うのなら行為をするとき以外は放っておいてほしいのに。

実質、コンラッドの顔なんて見たくもなかったから。

いかにもコンラッドを嫌がっているのが本人にも分かったようでコンラッドは手にもった銀色のお盆をユーリの前に差し出した。

それは、一般的な朝食と呼ばれるもの。

ユーリがこれは?と訪ねようとして息を吸い込んだと同時にコンラッドは言った。

「朝食です。めしあがってください」

業務的な声で淡々と告げるコンラッド。だが、ユーリに食欲なんて一切なかったし、シーツを巻き付けただけという裸とさしてかわらない服装で食事をするということが嫌だった。

「俺…いらない…」

何とか紡いだ言葉。上目がちにコンラッドを見つめれば、彼の顔からは一切の笑みが消えていた。

ユーリはその顔が酷く怖くて堪らない。なぜなら昨日自分を無理矢理抱いたときの表情、感情が一切排除されたような顔だったから。

「食べないと、具合がよくなりません。」

そういいながらコンラッドはユーリの方へ歩み寄ってきた。

「それに…」

そう呟きながらコンラッドはユーリのことをシーツごとだきかかえるとお盆をおいたテーブルの椅子まではこびそこに座らせた。

料理はまだ新しくほかほかと湯気がでていて食べてほしいといわんばかりに輝いているようだった。

しかし、なぜかしら料理が完璧ではないのだ。そう、どことなく千切られたパンだったりとか、見たこともない果物が不自然に切られていたりとかとか。

まさか誰かの食べかけなのではないだろうかと考えてしまう。しかし、自分はペットにすぎないのならその可能性もある。じっ…と見つめているユーリにコンラッドもかけたパンについてなにか思ったしく口を開く。

「毒なんて入っていませんよ、それに誰かの食べ書けというわけでもない」

それをきいてユーリは少し安心したがコンラッドのことが信じられるわけがない。しかも食べかけではないならどうして料理が完璧な姿ではないのか。でも食べなければこのまま永遠に自分はトレーとにらめっこをつづけるはめになりそうだ。

毒が入っているならいるで構わない。とにかくいまはこの男…コンラッドに捨てられればこの世界で生きる事も難しいかもしれない。

だから、心だけは絶対明け渡さないかわりに全てを承諾するべきなのではないかと思うことにする。

しかし、実際自分にそんなことができるのかは怪しい。だが、決心は決心だ、銀のスプーンを手にとると暖かいスープを口に含んだ。

「貴方は俺にしたがってもらわないと困るんですよ、それに体調を勝手に崩したりしないでください」

ご丁寧に俺のものなんですから、といやみに付け加えて。

ユーリは仏頂面のままスープやパンを味わうことなくいの中に流し込み続ける。コンラッドのことが、この男の絶対的な存在感が酷く圧迫してくるからだ。

味なんて全く分からなかった。きっと美味しいのだろうけど。

繰り返す単純作業のなかユーリはこの食事を作った人について考えてみる。

どうやら、コンラッドが作ったようではなかった。とするならばコンラッドという男はいったいどんな立場でなにをしているのだろう。こんな豪華な部屋を持っているのだから金持ちに違いない。窓の外にはどうやら芝生の光る庭園があるよう。

ここは本当にどこなんだろう。

だがきっと地名などきいたところで分かるわけがない。だけど、だからこそ自分が納得する答えがほしかったのだ。

「あの…」

コンラッドは開けっぱなしになっていた洋服棚を閉めると好きに服は使って構いませんので、とユーリが言葉を完全にいう前に言った。

「なんですか?」

言葉をさえぎってしまったことをわびてからコンラッドは尋ねてきた。

とりあえずユーリは、ここが一体どこなのか、それについてコンラッドに聞くことにした。一番気になっているは間違いなく自分たちの関係だけども、コンラッドがこたえてくれるような気はしないから。

そして、聞くだけ無駄なきがするから。

「ここはどこ・・・?」

「聞いたって分からないでしょう?」

答えを待つ暇さえ与えられず続けられた言葉。

確かに記憶はないけども、そんな風に言うのもあんまりだと思う。だが、コンラッドは厳しい顔をしたままで自分に関する一切の情報をユーリにくれる様子は見れない。

「貴方は、そんなことなんて考えなくて良いんです・・・今は、ね・・・」

その言葉とともに、抱きかかえられてふわふわのベッドに仰向けに寝転がされる。手に持っていたスプーンは驚いた拍子にこの手を離れてカーペットのうえに音も立てずにおちた。

また、この男は無理やりに自分を犯すのか。

多大な恐怖がユーリの頭を掠めた。

昨晩のことが一気に頭の中を駆け巡る。もうあんな思いなんてしたくない、苦しくて、痛くて、でも気持ちがよくて。でも、男に抱かれてあんな声を上げて腰を振っている自分の姿など考えたくもない。

じゃあどうして俺は、あの男の愛撫に感じるのか。

俺はもともとゲイとかそういう名前で呼ばれる分類の人だったのか・・・?

だがそれはなくした記憶にすべてが記されているから、今の脳みそではもう何の役にも立ちやしない。

男をつっぱのけるために使われて体中の筋肉はきしりと筋肉痛を起している。どうせ、コンラッドからは逃げられやしないのだから、目を閉じて行為が終わるのを黙ってやり過ごせれば、心なんて痛めずにすむはずだ。

ユーリの決心と共に落とされたのは、深いキス。目を閉じたって、そのめまぐるしい感覚など拭えるわけもないのに。

ユーリは、足についた足輪をかしゃんと鳴らしながら、永遠のようにさえ感じられる責め苦に、ただただ耐えようとした。

 

 

 

                   To be continued