口付けは蜜より甘く、罪より苦い

口付けはより甘くより苦い

 

ACT.4 気が付けば焼け野原

 

 

ユーリを部屋に一人残して、コンラッドは仕事へ出向いた。部屋の鍵は外からかけて、さらに一つしかないこの鍵はコンラッドの服のポケットに入っている。これで、ユーリは監獄ともいえるコンラッドの部屋から逃げることは出来ない。でも、あの部屋の中ではユーリに不自由させないつもりでいた。外にでること以外はユーリにしたいことをさせたいと思っている。

コンラッドはただ、目を閉じてユーリの笑みを思い出す。

ユーリのことが好きすぎて、どうにかなってしまいそうだ、本気でコンラッドはそう思った。この手の中にいる、絶対に誰にも渡すことなく自分のものでいてくれる。そう思うだけで不自然なほどの征服感は満たされる。

こんなことをして、よいことなどひとつもないのに。

おかしくなったかな・・・コンラッドは自嘲気味に考えた。

昨晩気を失う寸前のユーリに告げた言葉、俺だけを見て・・・俺以外誰とも話さないで、絶対に。

なんてあからさまな独占欲であろうか。

この言葉を用意したのは、もしユーリが誰かと接触してその黒い髪から魔王とばれてしまわないようにするためのつもりだった。俺がかくまっていることがばれたら俺がここ大シマロン内で手を回すことも出来なくなってしまうから。ユーリは俺の言葉に嫌々でも従ってくれるから告げたのだ。

そのつもりだった。

そういう理由のつもりだった。

しかし、その言葉に含まれていたのは紛れもなくコンラッドの独占欲でしかなかった。

自分でもその浅ましさがはっきりと分かるほどに、コンラッドはそんな台詞をいったのである。もう完全にどうかしている、そう思って頭を抱えるコンラッド。

考え事を続けすぎて仕事ははかどらない。今はどことも戦争を起していないから軍部で仕事をしているコンラッドにとってはそんなに重大で厄介な仕事がまわってくるわけではないからそんなに大変ではないのだが。

とにかく、今までのコンラッドのペースを考えると明らかに遅くなっていた。

しかしもそんな様子に誰も声をかけることもなく、コンラッドはただ、呆けたように書類を見つめ続けるだけ。彼はため息をつくと机に置かれたカップから紅茶をすすった。

ばかげている。

何もかも、大変にばかげている。

彼は何事もないような顔をしながら仕事を続ける。また昼にはユーリのもとに食事を届けなくてはならない、誰かは彼にこう問うた。

ネコをお飼いになったのですか、と。

もちろん食事などから本物の動物のネコではないことぐらい承知のはずだ。数人のメイドにはかえってそう考えられていたほうが何をするにも楽そうなので逆にそういっているということもあるのだけれども。

とにかく、自分は“愛人”を囲っているということにして何とか回りに嘘を突き通しているというわけだ。もっとも愛人なんかではなくて、ユーリはコンラッドがこの世の何よりも渇望して止まない最愛の人だというのに。運命なんて、もう逆にうまい具合に仕込まれているのではないかとさえ思った。最初は信じたくない一方だったけども、もうここまでコンラッドにとって都合ばかりはいい現実が訪れるのならば。

もう会えない、もう会わないと決め込んでいたつもりだったのだ。

こんな形で再開することになってしまうなんて誰が予測できただろう、もう頭を抱えるぐらいしか状況を優位に対処できる気がしない。最良の案が頭をいくらかき回しても出てきてくれそうにさえなかった。

ユーリのことを抱いているときはやっぱりうれしい。ああ、この人と一緒にいられるんだなって実感するたび自分でもおかしいぐらいに幸せを味わえると思う。しかし。

しかし。

ひどいことをしているのは紛れもない真実。

やむを得ないのは確かだけれども監禁のような真似事をして愛より暴力を囁いて。それでも必死にユーリの体だけは傷つけないようにしている自分がいて。

どうしようもない。

もう、どうしようもなかった。

口をつくのはため息ばかり。そういえばユーリはかつてコンラッドに幸せが逃げるだろと怒ったことがあった。あのころに戻りたいと考えるほど、自分の中のわだかまりのようなものは肥大していく。もう戻れない。戻れないんだ。

この状況にしたのは自分。

一時の快楽のために、すべて泡と消える。何かいい解決法はなかったのか。

時間がたつほどに浮かび上がる今でこその回答。それを思うたびに自分の罪の重さをひしひしと味わう。

愛しているのに。こんなにも愛しているのに。

だけど、この気持ちを知らないユーリにとってただコンラッドは支配者でしかないのだ。理不尽な理由で自分を縛りつけ、合意のない性交を強いてくる謎の男でしかないのだ。

一応、昼までの仕事を片付けるとコンラッドはがたりと立ち上がる。そして、厨房へと向かって料理を受け取るのだ。自分が運ぶといってくれるメイドに丁寧に断りを入れて今日は自分の分も部屋に持ってゆくことにした。

軍隊暮らしが長かったため、別に高級な食事でなければいやだとかそういう貴族的感情は食事に対して抱いてはいない。ユーリも特に王室育ちではないし、何より記憶がない今となってはシェフが作り上げた最良のものを最良の品質のまま届ける必要は正直そこまでなかった。

そして必ず、ユーリに出す前にコンラッドは毒見という作業をしてしまう。

ユーリは確実に少し欠けたパンに疑問を抱いているようだけども、大事な魔王陛下の体を気遣わないわけにはいかない。これも、長い人生のうちほんの、ほんのわずかな間ユーリとすごした幸せな時間で染み付いてしまった癖だ。変えようにも、これをしなかったら心配で仕方がないというぐらいに。

ユーリに万が一のことがあってはいけないのだ。

そんなことを考えながらコンラッドは自室へと向かう。

 

「ユーリ」

盆を両手に持ったまま部屋の中に入るとベッドの上で布団がだまになっているのが見えた。そして、もぞもぞとその中からでてきたのはけだるそうな顔をしたユーリ。ついさっき起きたのではなかろうかというその姿はいつも元気ではつらつとした笑顔を見せているユーリとはまた別の一面・・・ひどく妖艶な姿にさえ見えた。

コンラッドはテーブルに食事の用意をするとユーリを促す。相変わらず服を着ていいとはいったもののユーリのサイズとは違いすぎてきる様子はない。いつも通り体にシーツを巻きつけたままよろよろとベッドから立ち上がりこちらへ向かう。

そんなユーリの姿は、いつもよりも線が薄く見えた。

「今、起きられたのですか?」

そうたずねれば、ユーリは小さく頷くだけ。完璧に嫌われたなと自覚すれば、自嘲の笑みが勝手にあふれ出てくるようだった。

ユーリは最初の食事の際、食べるように言いつけたので今では何も文句を言うことなく食事をこなしてくれる。しかし、食事、として食べているのではなく、どちらかというとコンラッドに強制されているから噛み砕いて体に流し込んでいるといった機械的な動作に過ぎないようだけれども。

食事は体外無言ですぎてゆく。

それは、コンラッドが言葉をかけてもユーリの反応は薄いし、ましてやユーリが口を開いても自分たちの関係とかここはどこだとか現時点では答えられぬようなことが多いから、コンラッドもあまり言葉を返すことが出来ない。

無機質な、かちゃかちゃという食器がぶつかり合う音だけがむなしく響いた。

「ユーリ」

コンラッドは思い出したように呟く。名前を呼ばれたことに気付いたユーリは、ワンテンポ遅れつつも何?と聞き返した。いまだに、自分の名前としての認識が甘いのだと思う。一刻も早くユーリの記憶を元に戻してこんな世界から逃がしてさしあげたい。切実に願いつつ、ユーリとの別れを恐れ、コンラッドはそんな思考を振り払う。

「昨日言ったことを覚えていますか?」

もちろん、俺だけを見て・・・俺以外誰とも話さないで、絶対にという言葉のことだ。

ユーリはコンラッドが何を考えているのかわからないらしく、下を向く。コンラッドは言葉を続けた。

「約束してください、俺以外のこの城の人間とは絶対にかかわらないこと。そして、この俺から決して逃げようなんて思わないこと・・・いいですね?」

コンラッドの声に、ユーリは小さく頷いた。従わざるをえない状況だということはユーリは理解しているよう。

ユーリの瞳をまっすぐに見つめれば、黒い瞳が切なく見えた。このまま抱きしめて、愛していると囁いてしまいたい、コンラッドは切にそう願う。しかし、叶わない現実。

だけど、性行為をしているわけでもなく、かといって平穏な会話をしているわけでもない。そんな状況がかえってコンラッドが普段押さえている欲望ではなくて、愛情を強く揺さぶるから。冷たい笑顔だけを向けることを体が拒んでしまうから。

今だけは、となぜか自分にも甘くなってしまう。コンラッドはただ黙々と食事を続けるユーリを横目にポケットのなかを探った。

ちゃらり、と指に触れるものがある。

それはもちろん、かつて自分がジュリアから受け取り、ユーリに渡したペンダント。ユーリに渡す時間もなくて今までコンラッドが持っていたというわけだ。

これを渡すなら、今しかないとふいに思った。

コンラッドは意を決したようにそれを握ると、ユーリ、と語りかける。ユーリは口に運んでいた先割れスプーンを下げてコンラッドの顔を見つめて。

しばし、空間を包み込む沈黙。コンラッドは話しかける勇気と準備が完璧に処理されるまで話し出す気にはなれなかった。

「ユーリ」

コンラッドはユーリを呼んだ。彼にしては小さすぎる声だったけども、しっかりとした声で。それも、かつてのような優しい声で。ユーリは疑問に歪んだような顔をして何、と聞き返した。

「これを貴方に渡しておくのを忘れていました」

コンラッドは椅子に座ったままでは距離が遠いので、立ち上がるとユーリの傍へと向かう。ポケットから魔石取り出すと、まだ状況の飲み込めていないユーリの首にかけてやった。いつものように、青くて美しいユーリの色に染る魔石にコンラッドはふっと微笑んだ。

「それは貴方の持ち物ですよ、ユーリ」

魔石を手に取ったままいぶかしげな顔をするので、コンラッドは苦笑をしながらいう。きっと足輪をつけたときのように一体これが何か悪い意味を示すものだと思っているのだろう、そう思うと胸が痛くなった。この魔石は、二人が幸せだったときの思い出を強く含んでいたから。

コンラッドは、ユーリを強く抱きしめようとする手を押さえる。好きだとは告げられないのだ。愛は二人の関係には必要ないのだ、何度も体に言い聞かせる。ユーリは相変わらず、胸元の青い石を見つめたまま、動いていない。

コンラッドは、そんなユーリにもう一度だけ申し訳なくて切ない顔をする。口では何も言えないから、こうするしかなかったのだ。しかし、ユーリの視線は相変わらず魔石に注がれているから、それが意味を成すことはなかったのだけれども。

「では、俺はまた仕事があるので」

いつものように、業務的な口調でそう告げるとコンラッドはユーリの食べ終わった盆と自分の盆をもって部屋を出た。ユーリが、一体魔石に対して何を思っているか聞きたかったけども、聞けなかった。それを聞いてしまったら、もう何もかもよそよそしい関係になってしまうような気がしたから。体をつなぐだけの関係に終わりが来なくなってしまうような気がしたから。

だから、コンラッドは何も効こうとはしなかった。ありがたいことに、ユーリもいつもはいろいろ好奇心を示すなり自分の状況をし労したりして説明しづらいことまで尋ねてくるのに、今日は何も言わなかくて。

ばたん、と部屋のドアを閉めれば、また仕事に向かわなければという気持ちがこみ上げてきた。自分の服しかなくて、常にあんな裸のような格好をしていてるユーリの姿を見つめていたくて、そして見ていると痛々しく自分の罪の重さを思い知る。だから、長く居たくないと思うこともある。今日は、とてもそんな気分だった。

コンラッドは食器を厨房に返すと、午後の仕事に取り掛かる。しかし、やはりどことなく上の空のまま、はかどらない仕事を手につけているようなだけ。ため息ばかり出て、こんなの自分ではないなと最後のほうには頭を抱えて自嘲するしかない始末だった。それでも、尋ねてくる部下たちにたのまれた仕事はそつなくこなしたし、実際そこまで悪い状況というわけでもないのだけれども。

コンラッドはあまり表情に感情が表れないタイプだったから誰も深く尋ねてこようともしなかった。

 

 

 

                   To be continued